
昭和四十年代まで、『ボルドー液』は、主要な薬剤の一つでした。しかしその使用は、次第に避けられるようになりました。
1970年に製作された、NHK『ある人生「白いリンゴ」』は、当時のりんご生産の現場では「赤いリンゴが白くなるほど農薬を使っていた」といったイメージを伝えます。
この「白く」する物質は、『ボルドー液』に含まれる石灰だったのですが、放映後、様々な反響を呼んだようです。『青森県りんご発達史』には、次のように記録されています。
───(以下、引用)───
白いりんご事件
昭和四十六年一一月NHKテレビに、「ある人生、白いリンゴ、農村開業医からの報告」が全国に放映された。りんご生産者ならびに周辺住民の健康をむしばんでいる農薬の恐ろしさを訴えたものである。その直後朝日新聞投書欄に「恐怖つのる白いリンゴ」と題して東京都の一主婦からそれほどまでに農薬散布を必要とするのか消費者は果実の中にまで薬剤がしみ込んでいるのではないかという不安を持っているとの意味であった。
この投書に対して、青森県りんご試験場から既に猛毒性のパラチオン等は製造を中止していること、また白く染まるのは石灰分で人体には影響がないと回答したが、消費者の誤解と不安を取り除くような栽培法へ漸進すべきであることを示唆した問題として注目された。
(青森県農林部りんご課=編(1974)『青森県りんご発達史第12巻 昭和後期栽培史、剪定史、品種史、病害虫史』より)
───(引用はここまで)───
これ以後、『ボルドー液』散布を行った白い果実は、農薬汚染されたリンゴの代名詞として、度々、攻撃されたと聞きます。そして実際、防除歴における『ボルドー液』の散布回数は減りました。
目に見える無害なモノ(石灰)に、目に見えない有害なモノ(パラチオン)を重ね合わせて訴える行為は、農薬汚染への警鐘に貢献した。しかし一方で、「消費者の誤解と不安を取り除くような栽培法へ漸進すべきであることを示唆した問題」との認識を生み、ひいては散布状況が目に見える『ボルドー液』の使用を遠ざけている現在につながっていると思われます。
『ボルドー液』が有機農業において認可資材とされていることを鑑みれば、容易に可視できないモノが、あたかも可視できるかのような編集が、私たちの健康に関わる安全性の指標を、かえって私たちから遠ざける結果をもたらしたと感じられます。
どのような栽培法をするのか、化学合成農薬を使用することの是非、『ボルドー液』を使用することの是非、、、この場では、これらについて言及しませんし、容易にできることではないと思っています。これらは生産者と消費者の関係において決まっていくべきこと。そして、それらの積み重ねの結果として安全性の指標が得られるべきだと考えます。
ところで、「残留農薬基準」が定められている現在でも、この指標はしっかり根付いていると感じることが多々、あります。そんな中、欧米のみならず、日本の有機農業の規格においても、『ボルドー液』は認可資材とされました。
その大本の法律、「農林物資の規格化及び品質表示の適正化に関する法律」(改正JAS法)が成立したのは1999年。その翌年、2000年11月に、NHKは『ある人生「白いリンゴ」』を再放送したそうです。
(2008.06.25 / y)